飛鳥園について

飛鳥園の歩み

大正十一年

創業〜会津八一との出会い
写真家で画家の小川晴暘が会津八一の熱心な勧めを受け、仏像など文化財の撮影に専念するため、朝日新聞社を辞して飛鳥園を創業。以後新しい視点による古美術写真に専念する。

大正十二年

仏教美術、室生寺大観等を出版
源豊宗の協力を得て飛鳥園に仏教美術社を設立、同12年には古美術研究専門の季刊誌『仏教美術』を刊行。続いて『室生寺大観』『法華堂大観』などを 初めとした写真大観類のほか、『日本建築史要』『仏教美術叢書』等を出版。また各地で仏教美術写真展や講演会を開催し、昭和初年頃より朝鮮の仏教美術撮影 のために度々渡航する。

大正十五年

朝鮮半島の撮影を開始
「仏教美術」の取材として日本の仏教美術の流れを辿るべく、京都大学建築史の天沼俊一と朝鮮半島を訪問。昭和9年、東洋美術研究会主催の朝鮮古美術見学団代表として再度朝鮮に渡航、以後3度にわたり慶州を中心に撮影旅行を敢行、仏国寺、石窟庵等を詳細に撮影し、昭和5年『朝鮮古美術大観』全三巻を発刊。

昭和四年

東洋美術発刊
会津八一・天沼俊一・浜田青陵などの諸博士を顧問に迎えて東洋美術研究会を設立し、『仏教美術』を『東洋美術』と改題。安藤更生・板橋倫行らが編集に当り、 季刊誌のほか『正倉院の研究』『醍醐寺の研究』など多数の特集号を刊行。また学生・一般向けの研究資料として『日本美術史資料』シリーズを発行。

昭和十四年~

雲崗石窟の撮影
昭和14年と16年の二度にわたり、小川晴暘はいずれも三カ月余をかけて大同雲岡石窟の撮影と拓本やスケッチなどの資料収集を精力的に行い、その成果を『大 同雲岡の石窟』(日光書院刊)などにまとめるほか、日本橋「白木屋百貨店」などで『大同石窟展』を開催。

昭和十八年

アンコールワットやボロブドゥ ルなど、
南方諸国の遺跡の撮影を敢行

昭和二十三年

小川晴暘の三男、小川光三が飛鳥園の撮影と経営を引き継ぐ

昭和二十五年

文化財保護法の制定とともに新しい国宝・重要文化財の指定の為の資料写真の撮影を
文化財保護委員会(文化庁の前身)より委嘱され、約五年間全国各地の仏像の撮影に従事

昭和四十三年

株式会社飛鳥園を設立。文化財とその風土の撮影のほか、社寺の依頼を受けた
書籍等刊行物の発行、出版社の依頼による撮影、編集、企画や刊行物に掲載する
写真の貸し出し等の業務を幅広く行う

飛鳥園について